昭和な食堂お食事処 南星

No.04

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この街が好きすぎる料理長と

レジ要らずのスーパー看板娘が待つ

「昭和96年のお食事処」へ

広島を代表する繁華街である流川・薬研堀エリア。その一角に、ひっそり輝く一つ星が「お食事処 南星」だ。扉を開ければ昭和初期をそのまま固めたような空間が広がり、令和の日本ではおよそ見ることができない機械が並び、創業以来71年間、変わらず常連客を待ち続ける看板娘がいる―――。空いているのは平日のみ、朝11時から夕方6時まで。昼間のひと時、古き良き時代にタイムスリップできる。そんな幻のような絶メシ空間を訪ねた。

(取材/絶メシ調査隊  ライター名/山根尚子)

暖簾がぱりっと美しい店に
ハズレなし!の説

ライター山根

「ども! 絶メシ調査隊広島支部隊員番号002、いつも腹ペコ山根尚子です。今日お邪魔するのは、広島市中区のサラリーマン諸氏の間で静かに長~く愛されている『お食事処 南星』。噂には聞いていましたが、恥ずかしながら初来店です。こちらは広島の繁華街ど真ん中にありながら、平日昼のみの営業でお酒の提供もないというストロング・スタイル。私の主戦場は夜の酒場なので、これまで訪れる機会がなく…。この暖簾の向こうに、どんな空間が広がっているのか!オラ、ワクワクすっぞ~」

さっそくご覧いただこう。今日の目的地「お食事処 南星」だ。写真でも十分伝わると思うが、紺地に白を染め抜いた暖簾が、ぱりっとしていて清らか。

ライター山根

「これこれ。個人がやってる古~いお店で、建物はいかにも築年数経ってそうなのに、暖簾が美しいお店。これはね、山根的には名店のシグナルなのですよ…!さあさあ、さっそく入ってみましょう」

暖簾をくぐると、そこに待っていたのは…

THE・昭和の大衆食堂的空間、そして

こちらの看板娘だった

中村シズエさん

「いらっしゃい。まあ、よく来てくださって。何を召し上がってです?」

ライター山根

「わあ~、初めまして!(なんて品のある女性なんだ!ドギマギ)絶メシ調査隊の山根と申します…!ここは、どんな風に注文したらいいんですか?」

中村シズエさん

「ここから好きな物を取ってください。『南星』の一番人気は煮サバよ

ライター山根

「どれも美味しそうで悩む!でもここはやっぱり、おすすめのサバの煮つけにしとこ。…っていうか、あれ??この冷蔵庫…!なにこれ!?

氷じゃん!氷で冷やしてんじゃん!

中村シズエさん

「今頃こんなんないでしょう。うちではずっとこれなんです」

ライター山根

「へえええ、初めて見ました!風情あるな~」

なかなかお目にかかることのできない氷冷式冷蔵庫の真価に絶メシ調査隊が気づくのは、このもう少し後。ひとまず、棚から食べたいものをピックアップする。
ライター山根

「あとどうしよう。あ、野菜の煮物がいいな」

中村シズエさん

「ごはんと汁はどうしますか?カメラの方もお上がってくださいね」

ライター山根

「ではせっかくなのでカメラマンも…。私はごはん小とお味噌汁、カメラマンはごはん中とお味噌汁でお願いします」

中村シズエさん

「(突然の大声)小と味噌!!中と味噌!!

ライター山根

「声のハリがすごい!」

そのオーダーを受け止めるのがこちらの御仁

ライター山根

「えーと、こちらは息子さんですか?」

中村シズエさん

「そう、今は私の主人も息子のお嫁さんも入院しとってね。ほいじゃけ母一人子一人、水入らずです(笑)」

中村家の長男、泰忠(ひろただ)さんは現在69歳。店の調理を一手に引き受けている。絶メシ調査隊とシズエさんが楽しくおしゃべりしている間、黙々と手を動かして味噌汁とご飯を用意してくれた。こうして整ったのが、今日のお昼ご飯。

ライター山根

「うっうっ、サバの煮つけが美しすぎて泣けてくる。皮がつやっとしてていかにも美味しそうだよ~。今日の煮しめはカボチャ、いんげん、ヒジキ、ニンジン、ゴボウか。そしてどれも安い!」

中村シズエさん

『南星』で一番高いのはお刺身です、600。お煮しめはね、毎日中身が違います。ときどき肉じゃがになったりね」

「わーい、さっそくいただきます」

食べた直後の表情がこちら

ライター山根

「これは美味しいなあ。一見醤油辛いのかな?と思いきや、そんなこともなく程よい甘辛さ。火の通り加減も絶妙だ~。身がふんわりとしてる。いったいどうやって作ってるんですか?」

泰忠さん

「見た目真っ黒で辛そうだけど、辛くないでしょう。煮汁は毎日炊いたら漉して、注ぎ足し注ぎ足しして使っています。おでん屋さんと一緒で、絶やさない。もう何十年も注ぎ足している『南星』の味です。煮サバは、この煮汁を沸かして、サバを入れたらタイマーで8分測って煮上げます。煮てる間は触らない」

ライター山根

「よーし、続いて煮しめに行っちゃおう」

し、しあわせ~~~♡

ライター山根

「煮しめも絶品ですね。これはどういうお出汁で作ってるんだろう」

泰忠さん

「うちの出汁は『つぼだし』って呼んでるんだけど、特注の機械で、ぐらぐらさせんように温めてるんです」

泰忠さん

「直接火にかけないほうが澄んだ出汁が取れるから。今食べて貰った煮しめも、カレイの煮つけも、小松菜のお浸しも、すべての料理の出汁がこれです。鰹節と、鯖節と、北海道の真昆布を合せています」

ライター山根

「美味しいはずだ!手がかかってるんですね」

大満足のうちに食事は終了。取材日は雨だったが、雨脚の間を縫ってぽつりぽつりと常連客が店を訪れ、「なべ焼き!」「コロッケちょうだい」などと勝手知ったる感じで注文をしていく。たまたま隣り合った男性は、なんと二十歳の時から週2で通って30年経つとのこと。「もうこの年になったらコンビニのものとか食べられないから、やっぱりこういう食事しないと」と、まるで自分の店かのように自慢するのであった。

昭和・平成・令和を駆ける
17歳→88歳の看板娘

ライター山根

「店内がすごくレトロで、素敵ですね…!何年前からここにあるんですか?」

中村シズエさん

「今昭和で言ったら何年ですかねえ?」

昭和で…言ったら…?

ライター山根

「(平成がなかったことになってるわけじゃないよな)ええと、63+30+3で…96年かな?昭和96年」

中村シズエさん

「そう、じゃあ今年で71年だ。昭和25年、私が17歳の時からここでやってます。両親と一緒に。それまでは疎開しとったんです。昔は貧乏じゃから借家におって、一生懸命働いて、ここに自分の家を建てたんです。私の父は奉公でお饅頭屋さんで働いとって。なんか自分で商売せにゃあいけんって、おはぎをやったんです。こんな、枕むすびのような形のね。こし餡にして、小豆を炊いて…。それをお菓子屋さんとかに卸してお金が儲かったから、ここで商売を始めました。学校へも行かんのじゃから、私も一生懸命働いたです」

ライター山根

「終戦が昭和20年だから、本当に戦後まもなくですね…。そしてこの建物は築71年ってことか…!震える~」

中村シズエさん

「このあたりは焼け野原だったから、早い方よね。それで、はじめは洋食屋さんだったんです。だんだん、洋食だけでは大変だ言うので、和食も入れて、大衆食堂に」

ライター山根

「シズエさんはずっと接客専門で。泰忠さんは料理は誰に教わったんですか?」

泰忠さん

「先代です、僕のおじいさんと、ずっといてくれた従業員さんに教わりまして。東京の大学を卒業してからですから、22…か23歳の時かな…卒業でこっちに帰ってきて、それからずっとここにいます」

ライター山根

「23歳で…。私だったら東京の大学行ったら戻って来たくない!ってなっちゃいそうだけど、そんなことなかったですか」

 

泰忠さん

いや全然(きっぱり)。ここで大きくしてもらって、やっぱりこの『南星』が大好きなんで。大学にまで行かせてもらったんだから、早く帰って恩返ししないとって思ってました」

ライター山根

「えらいな~~~~~~~~~!」

泰忠さん

偉いじゃない、好きなんです、広島が。東京から帰る時も、新幹線なんか西条まで来たらもう、座っとれんかったですよ! 早く帰りたくて(笑)。友達がいるのもさることながら、やっぱりここ、薬研堀が好きなんで」

以来40年以上、2階が自宅であるこの「南星」で料理をし続ける泰忠さん。朝は6時に起き、店の片づけから料理の仕込みまできっちりこなし、店の棚をその日の惣菜でいっぱいにして開店を迎える。揚げ物などの総菜は先ほどの氷冷式の冷蔵庫へ、冷たくして食べるポテトサラダや刺身などは、また別の電気の冷蔵庫へと並べていく。
ライター山根

「そうそう!さっき煮しめを食べて思ったんですよ。氷冷式の冷蔵庫は冷えすぎないのがいいんだって。冷たすぎるお惣菜ってちょっと寂しいけど、『南星』の惣菜はそうじゃなかった。古いものを大切にしてるだけじゃなくって、美味しく提供するためにあえて使い続けてるんですね」

などと話している間に、常連客の一人が店を出た。

 

次の瞬間、絶メシ調査隊が見たものは…!

中村シズエさん

「(若い男性に)お兄さんおあいそ?なんじゃったかいね?大ご飯じゃったかいね?はいはい、大と味噌汁、ハムとコロッケ…はい、800円です!」

中村シズエさん

「(貫禄のある紳士に)大将は、刺身と、ほいからなべ焼きと、白和え、小めし…はい、1560円です!1万円預かりまーす!8440円のお返しです!」

ちょっと待て。

ライター山根

「シズエさん!私さっきっからずーーーーーーーーーーーーっと気になってたんですよ!この店…レジがない!まさか計算は全部シズエさんの暗算ですか!?」

 

中村シズエさん

「そうよ、まだ計算だけは衰えとらん。計算の衰えたらクビになる(笑)」

♪コンピューターおばあちゃーん、♪コンピューターおばあちゃーん、絶メシ調査隊一行の頭の中では、某名曲の再生が止まらない。恐るべし88歳。看板娘として重宝されるのにはちゃんと理由があったのだった。

映えとか全然関係ない
本当の昭和が残る空間

写真は子どもの頃の泰忠さんと、「南星」の創業者である今は亡き祖父。食べ歩きが好きで、とにかくいろいろな店に連れて行ってもらったという。店はシズエさんと泰忠さんのほか、40年近く務めた従業員さんで回していたが、去年の6月に従業員さんが引退。それ以来、母一人子一人だ。

ライター山根

「あのう…この取材、『絶やすな!絶品広島グルメ』っていうテーマなんですが、お店をだれかに継いでもらうことって考えておられますか?」

泰忠さん

「考えてないですね。ここが好きで、先代から守り続けてきた自分の作る料理が好きでずっとやってきたんで、全然知らない人に継いでもらうというのは、ちょっと…。家族ならいいですが、娘たちも結婚して自分たちの生活がありますから。そのつもりはないと思うので」

中村シズエさん

「もう長いことできんですよ、私がやめたらもうできんです(笑)」

古い建物ながら隅々まで磨かれた清潔感のある店内、氷で程よく冷された惣菜、レジがなく木製の引き出しからお釣りが出てくる会計。SNS映えのために計算されたものではない、昔のものを丁寧に愛して使い続けることだけで生まれる、本当の昭和が「南星」には残っていた。昭和106年、昭和116年、昭和126年まで続いてほしい…!スーパー看板娘のシズエさんと、この街を愛してやまない泰忠さん。二人のはにかんだような笑顔に見送られて、絶メシ調査隊一行は店を後にした。

ごちそうさまでした!

取材・文/山根尚子

撮影/キクイヒロシ

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